うつ病で退職したけど、もう一度働きたいと思っている人に読んでほしい
うつ病で退職したあの日、私は「もう二度と働けないかもしれない」と感じていました。心も体も限界を迎え、仕事を続けることができず、辞める決断をしたときは悔しさと不安でいっぱいでした。それでも時間が経つにつれて、少しずつ「また働きたい」という気持ちが芽生え始めました。けれども、どうすればいいのか分からず、悩み続ける日々が続きました。
そんな時、心療内科の医師から「無理をせず、段階を踏んで準備すれば大丈夫ですよ」と声をかけられました。その言葉に背中を押され、まずは就労移行支援という仕組みを知りました。LITALICOワークスでは、体調の波に配慮しながら働く準備を整えるサポートを受けました。ココルポートでは、生活リズムの見直しや自己分析を通じて、少しずつ自信を取り戻すことができました。
さらに、manabyでは在宅で学べる環境が整っていて、心に負担をかけずにITスキルやビジネスマナーを身につけることができました。自分のペースで学べたことが、再び社会に出るための大きな支えになりました。そして、キズキビジネスカレッジでは、発達障害やうつ病の経験を理解したスタッフが親身にサポートしてくれたおかげで、安心して次の仕事を探すことができました。
今振り返ると、あの時一人で無理に転職活動を始めていたら、きっと途中でつまずいていたと思います。専門の支援を受けながら、自分の心と体を大切にしながら準備を進めたからこそ、今こうして自分らしく働くことができています。もし今「もう一度働きたいけど不安」という気持ちを抱えているなら、まずは無理をせず、支援を受けながら一歩ずつ進んでみてほしいです。あなたにも、きっと自分に合った働き方が見つかります。
うつ病になった理由と、転職を決意するまでの経緯
仕事を始めた頃は、やりがいも感じており、多少の忙しさやプレッシャーにも「これが社会人として当たり前」と思いながら過ごしていました。しかし、月日が経つにつれ、仕事量の増加や複雑な人間関係、上司からの高い期待などが少しずつ心に負担をかけていきました。責任感が強い性格の私は「周りに迷惑をかけたくない」「もっと頑張らないといけない」と無理を重ねるうちに、徐々に疲労感が抜けなくなっていきました。
最初はただの疲れだと思っていましたが、夜になると眠れなくなり、朝が来るのが怖いと感じるようになりました。食欲も落ち、好きだった趣味にも興味が持てなくなり、次第に自分の中から楽しさや前向きな気持ちが消えていくのを感じました。それでも「まだ頑張れるはず」と自分に言い聞かせていたのですが、ある朝、職場に向かう準備ができず玄関先で動けなくなったことで、心が限界に達していたことを痛感しました。
心療内科を受診し、医師に自分の気持ちを話すことで、うつ病と診断されました。診断を受けた瞬間はショックもありましたが、それと同時に「もう無理をしてはいけない」という安心感も少しだけ芽生えました。治療を続ける中で、今の働き方を見直し、自分に合った仕事や環境を探すことが大切だと考えるようになりました。焦らず準備を進めるうちに、就労移行支援や転職エージェントとの出会いがあり、支援を受けながら新しい一歩を踏み出す決意が固まっていったのです。
職場でのストレスが積み重なっていった日々
仕事を始めた当初は、多少の忙しさやプレッシャーも「仕事だから仕方がない」と受け止めていました。しかし、次第に業務量は増え続け、職場の人間関係にも気を使い、責任だけが重くのしかかるようになっていきました。上司や同僚に迷惑をかけたくないという気持ちから、無理にでも笑顔を作り、弱音を吐くことができませんでした。休日も仕事のことが頭から離れず、気が休まる時間が減っていったのです。「もう少し頑張れば乗り越えられる」と自分に言い聞かせる日々が続き、気づけば心も体も疲弊していました。
ストレスが限界に達するまでの自覚症状と気づきの記録
最初に異変を感じたのは、眠れなくなったことでした。布団に入っても翌日の仕事のことを考えて不安になり、眠りにつけない日が続きました。朝になると胸のあたりが重苦しく感じられ、会社に向かう足取りはどんどん重くなりました。食欲も落ち、何を食べても美味しいと感じられなくなりました。周囲の何気ない会話も頭に入ってこなくなり、次第に仕事のミスも増えていきました。
それでも「これはまだ大丈夫」と自分をごまかしていたのですが、ある朝、ついに会社へ行こうとして玄関で足が動かなくなりました。その時初めて、自分はもう無理をしてはいけない状態に来ていたことを実感しました。心療内科を訪れ、医師に話を聞いてもらったことで、自分がうつ病であることが分かり、長い間抱えていた不安が少し軽くなりました。そこからようやく、今の職場を離れ、自分に合った働き方を探していこうと決意することができたのです。
時期 | 当時の自分の状態 | そのときの気持ち | 今ならわかるサイン | 気づいた変化・出来事 |
3ヶ月前 | 忙しいけどなんとかこなしていた | 「みんな頑張ってるし、これくらい普通」 | 過集中・残業の常態化 | 睡眠時間が短くなり、朝の目覚めが悪くなった |
2ヶ月前 | ちょっとしたことでイライラするように | 「最近疲れやすいかも?」 | 感情の浮き沈みが激しくなる | 同僚との会話がしんどくなって避けがちに |
1ヶ月前 | 朝が本当にしんどい。布団から出られない | 「仕事に行きたくない。泣きたい」 | 気分の落ち込み・胃痛・食欲不振 | 会社に向かうだけで動悸がする日が増えた |
2週間前 | 何も楽しくない。やる気が出ない | 「なんのために働いてるんだろう…」 | 無気力・興味喪失・涙が出る | 普段好きだった趣味にも手がつかなくなった |
限界の日 | 涙が止まらない。上司の一言で崩れた | 「もう無理…限界だ」 | 心と体のサインが完全に一致した瞬間 | 早退してそのまま病院へ、休職を決意 |
残業続きと人間関係の板挟みで、心がすり減った
毎日遅くまで続く残業が当たり前のようになり、気づけば平日はほとんど自分の時間が取れなくなっていました。帰宅しても頭の中は仕事のことでいっぱいで、心も体も休まる瞬間がどんどん少なくなっていきました。さらに職場では、上司と部下、先輩と後輩の間に立たされることが多く、それぞれの意見や要望を調整する役割が自然と自分に回ってくるようになりました。どちらにも気を使いながら仕事を進める毎日は、知らず知らずのうちに大きなストレスを抱える原因となっていきました。
「自分が頑張ればうまくいく」と思い、無理を重ねていたものの、次第に心がついていかなくなりました。仕事に行くことが苦痛に感じる日も増え、朝になるたびに胃が痛くなるようになりました。そんな状態でも周りに弱音を吐けず、気丈に振る舞い続けた結果、ついには眠れなくなり、食欲もなくなり、どんどん心がすり減っていったのです。そしてある日、出勤前に動けなくなったことで、初めて自分が限界を超えていたことに気づきました。
病院で「うつ病」と診断されたときの気持ち
心療内科を受診した日、診察室で「うつ病です」と医師に伝えられた瞬間、頭の中が真っ白になりました。どこかで「もしかしたら」と思っていた部分もありましたが、実際に診断を受けると、ショックと同時に情けなさや不安が一気に押し寄せてきました。「自分はダメな人間なのかもしれない」「これから先、ちゃんと働けるのだろうか」と、ネガティブな気持ちがぐるぐると巡りました。けれども、医師は静かに「今は無理をしてきた心が休みたがっているんですよ」と言ってくれて、その言葉に少しだけ救われたのを覚えています。
「うつ病」と診断されたときの気持ちと、そこから少しずつ変わっていった心の記録
診断直後は、自分を責める気持ちでいっぱいでした。周りの人は普通に働けているのに、なぜ自分はできないのだろうと悩み、何もかもが怖く感じられました。しかし、医師の勧めで休職し、少しずつ治療を進めていくうちに、次第に心の重みが取れていきました。カウンセリングで「今まで本当によく頑張ってきたんですね」と言われたときは、張り詰めていた気持ちが緩み、涙が自然とあふれてきました。
少しずつ生活リズムを整えたり、好きなことを少しずつ再開してみたりと、自分のペースで過ごす中で、少しずつ「また働きたい」という前向きな気持ちが芽生えてきました。そして就労移行支援や転職支援サービスと出会い、無理なく自分に合った働き方を探す道があることを知ることができました。あのとき診断を受けたことは、決して終わりではなく、新しいスタートだったのだと今では感じています。
タイミング | そのとき感じた感情 | 頭に浮かんだこと | 後から気づいた本音 | 今だから言えること |
診断直後 | え…うそでしょ?信じたくない | 「まさか自分が」「怠けてるだけじゃ…」 | 認めたくなかっただけで、ずっと辛かった | 自分のSOSをようやく受け止められた瞬間だった |
帰宅してから | 重いラベルを背負った気がした | 「これからどうなるの?」「もう終わりかも」 | 未来が真っ暗に感じたけど、それは“無知”だった | うつ病=終わりじゃない。ちゃんと「続き」がある |
数日後 | 気持ちがフワフワして現実味がない | 「会社にはどう言おう」「迷惑かけたらどうしよう」 | 社会とのつながりを失うのが怖かった | 人に頼る勇気も「生きる力」の一部だった |
少し落ち着いてから | もう一度、自分の気持ちに向き合いたいと思えた | 「何がしんどかったのか整理したい」 | 自分を守ることを考える余裕が戻ってきた | この時間があったから、再出発の選択ができた |
もう頑張れない。そう感じて初めて休む決意をした
それまでは「まだ頑張れる」「自分が踏ん張らなくては」と必死に自分を奮い立たせていました。でも、心と体の疲れは日に日に大きくなり、朝目覚めた瞬間から強い不安に襲われ、出勤するのが怖くて仕方がありませんでした。職場に行っても頭が回らず、ミスが続いてさらに自信を失っていきました。そんな状態でも「甘えだと思われたくない」と無理を続けてきましたが、ある朝、どうしても布団から出られなくなりました。涙が止まらず、心も体も一歩も動かなかったのです。
その時、「もう頑張れない」と心の底から感じました。そこでようやく「休んでもいいのでは」と思えるようになり、心療内科の先生に相談しました。先生は私の話をゆっくりと聞いてくれ、「まずは心を休める時間が必要ですよ」と優しく背中を押してくれました。ずっと無理をしてきた心が限界を迎え、ようやく自分を休ませる決断ができた瞬間でした。あの時の決断が、今の自分を取り戻す最初の大切な一歩になりました。
うつ病でも転職はできる?私が再出発するまでにやったこと
うつ病と診断された当初は「もう働けないかもしれない」と不安でいっぱいでした。転職どころか、社会復帰自体が遠いもののように感じていました。でも、心療内科の先生やカウンセラーの支えを受けながら、少しずつ準備を進めることで「自分にも再出発できる道がある」と思えるようになりました。ここでは、私が再び働くまでに実際にやったことをご紹介します。
まずは治療に専念し、心と体を休める時間をしっかり取りました。焦る気持ちもありましたが、無理をすると再び悪化してしまうと医師にアドバイスを受け、しっかり休養を取りました。その後、カウンセリングで自己理解を深め、自分の特性やストレスの原因を整理しました。これにより「自分に合った働き方を探そう」と考え方が少しずつ変わっていきました。
次に、就労移行支援を利用しました。LITALICOワークスでは体調や不安に配慮したサポートを受けながら、働く準備を少しずつ進めることができました。ココルポートでは生活リズムを整え、ビジネスマナーやコミュニケーションの訓練を受けることで、再就職への自信を取り戻していきました。また、manabyでは在宅でも利用できる学習スタイルで、自分のペースに合わせてITスキルを学ぶこともできました。
さらに、転職活動ではdodaチャレンジやマイナビパートナーズ紹介といった障害者専門の転職エージェントに相談しました。自分の特性や希望を理解してもらいながら、配慮のある企業を紹介してもらえたことで、安心して応募を進められました。入社後も定着支援があり、働き始めてからもサポートが続いたことで、不安を抱えずに新しい職場に馴染むことができました。
あの時、ひとりで抱え込まず支援を受けたことで、今の安定した働き方があります。うつ病になっても、適切な支援を受けながら準備を重ねれば、必ず再出発できる道は見つかります。無理をせず、一歩ずつ進んでいくことが大切だと今は心から感じています。
無理に働かず、まずは自分を休ませることを優先した
うつ病と診断された直後、私は「早く復帰しないといけない」「周りに迷惑をかけている」という焦りと罪悪感でいっぱいでした。それでも心療内科の先生が「今は休むことが必要です」と繰り返し優しく言ってくれたことで、少しずつ「今は自分を休ませていいんだ」と思えるようになりました。これまでずっと無理を重ねてきた心と体を、ようやく労わる決断ができた瞬間でした。休むと決めたことで、心の緊張が少しずつ解け、穏やかな時間を取り戻せるようになっていきました。
無理に働かずに「休む選択」をしたときの葛藤と、見えた気づき
「休む」と決めたはずなのに、最初の頃は「自分だけが止まっているのではないか」「働いていない自分には価値がないのでは」と何度も心が揺れました。周りの同僚が仕事を続ける中、自分は役に立っていないように感じてしまい、自己否定の気持ちが強まることもありました。それでもカウンセリングを通じて、「頑張りすぎて壊れそうだった自分を守るための休養なのだ」と少しずつ理解できるようになりました。無理に動かず、今は自分の回復を優先していいと心から思えたとき、ようやく心に余裕が生まれてきました。
休む前に思っていたこと | 実際に休んでみて感じたこと | 周囲の反応・支え | 自分に起きた変化 | 今思う「休むこと」の意味 |
休んだら負けだと思っていた | まずは「何もしない」ことにすごく罪悪感があった | 友人や家族は思っていたよりも優しかった | 朝起きるのが楽になってきた | 休むのは「再スタートのための準備期間」だった |
他人にどう思われるかが気になっていた | 周囲の目より、自分の体の声を優先すべきだと気づいた | 医師や支援者が「休む選択」を肯定してくれた | 少しずつ自分の気持ちを言えるようになった | ちゃんと休んだからこそ、自分に合った働き方が考えられた |
休職=ブランク=キャリアの終わりだと思っていた | キャリアって「がむしゃらに働くこと」だけじゃない | SNSを一度見ないようにして正解だった | 心が少しずつ回復していくのがわかった | 「休む勇気」こそが人生の大事なスキルだと感じた |
焦らず「回復」に集中した時間が後の転職に効いた
回復期間に焦らず過ごせたことは、後の転職活動に大きく役立ちました。心と体が整っていく中で、自分に合った働き方についてじっくり考えることができました。カウンセリングで整理した「得意なこと」「苦手なこと」「働くうえで大切にしたいこと」をもとに、無理なく続けられる職場を探す準備ができたのです。就労移行支援や転職エージェントのサポートを受けながら、焦らず段階を踏んで進めたからこそ、今は安心して働ける環境を手に入れることができました。あの時しっかりと休んだからこそ、今の自分があるのだと心から感じています。
障害者雇用と理解ある職場を探すという選択
休養を経て「また働きたい」と思い始めたとき、私は自分のうつ病や発達特性をオープンにした上で就職活動を進める「障害者雇用」という選択肢に出会いました。最初は少し戸惑いもありましたが、心療内科の先生や就労移行支援の支援員に背中を押してもらい、自分の状態を隠さずに働ける道があることを知りました。無理をして普通の働き方に合わせるのではなく、自分の特性を理解し、配慮してくれる環境を選ぶことが、長く働き続けるために大切だと気づき始めたのです。
障害者雇用という選択をしたときの気づきと、見えてきた“本当に働ける職場”
障害者雇用に取り組む企業を調べる中で、想像以上に多くの企業が配慮やサポート体制を整えていることを知りました。これまでの私は「障害を開示すれば不利になるのでは」と不安でしたが、実際にdodaチャレンジやマイナビパートナーズ紹介のアドバイザーに相談することで、むしろ企業側も私の特性を理解したうえで受け入れてくれる姿勢があると分かりました。面接でも、苦手なことや配慮してほしい点を素直に伝えられることで、安心してやり取りができました。そして、「できることを活かして働いてほしい」と言ってくれる企業に出会えたとき、初めて「ここなら安心して働けるかもしれない」と感じました。
最初に持っていたイメージ | 実際に調べてわかったこと | 利用してみたサービス | 出会えた職場の特徴 | 感じた安心・変化 |
特別なスキルが必要そう | 「配慮」が前提の職場も多いと知った | ハローワーク、就労移行支援、転職エージェント | 時間の融通がきく/上司が理解者 | 無理しない働き方で心が安定した |
給与や業務内容が制限されるイメージ | 仕事内容は幅広く、キャリアアップも可能だった | エージェントが条件に合う求人を提示してくれた | 面談の段階から“体調への質問”があった | 面接で“無理な期待をされない安心感”があった |
「制度を使う=弱い立場」と感じていた | それよりも“働き続けること”の方が大切と気づいた | オンライン求人サービスも活用した | 通院配慮やフレックス制など柔軟性あり | 「働くのが怖い」が少しずつ消えていった |
配慮のある企業との出会いで「安心して働ける」職場が見えた
配慮のある企業と出会えたことで、働くことに対する不安が大きく減りました。たとえば、勤務時間の柔軟さ、定期的な面談によるフォロー体制、無理を感じたときにすぐ相談できる環境が整っている職場を選ぶことができました。atGPジョブトレなどの支援サービスを利用して、自分の特性に合った職場環境を一緒に考えてもらえたことも大きな安心材料になりました。こうして、今は自分らしく、無理のない働き方で仕事に向き合うことができています。「安心して働ける場所は必ずある」と実感できたことが、転職活動で一番の収穫だったと感じています。
転職活動でぶつかった壁と、それを乗り越えた工夫
転職活動を始めた当初は「今度こそ自分に合った職場を見つけたい」という前向きな気持ちがある一方で、さまざまな壁にぶつかることも多くありました。うつ病の経験や発達特性があることで、自信を失いやすく、応募先を探す段階から不安に襲われることもありました。応募条件を見ては「自分には無理かもしれない」と感じたり、面接が近づくたびに緊張して体調が不安定になることもありました。
そんな時に支えになったのが、就労移行支援や転職エージェントの存在でした。LITALICOワークスでは、自己分析を通じて「どんな職場なら自分は安心して働けるのか」を明確にできたことで、応募先を選ぶ基準がはっきりしてきました。また、manabyでは在宅訓練を受けながら、パソコンスキルやビジネスマナーを磨くことで、自信を少しずつ取り戻していきました。
応募書類の作成や面接対策もひとりでは不安でしたが、dodaチャレンジやマイナビパートナーズ紹介のアドバイザーが丁寧にサポートしてくれました。特に、自分の障害特性をどのように説明し、配慮を求めるべきかを一緒に整理してもらえたことが大きな安心につながりました。面接本番でも「今までの経験を正直に話していい」と思えたことで、自然体で話すことができました。
転職活動の壁を乗り越えられた一番の工夫は「ひとりで抱え込まないこと」でした。専門家の力を借り、支えてくれる人たちと一緒に進めることで、焦らず着実に前に進むことができたのです。そして今は、理解ある職場で無理のない働き方を実現し、少しずつ自分らしく働く喜びを感じられるようになっています。
履歴書の書き方、面接での伝え方に迷った
項目 | 一般的な表現(△避けたい) | ややNGな理由 | おすすめのオリジナル表現(◯使える) | ポイント |
病気について | うつ病で退職しました | ネガティブに響く/説明不足 | 「体調の変化があり、医師の指導でしばらく療養期間を取りました」 | 主語を「病気」ではなく「体調」に |
休職理由 | 働けなくなったため | 無責任に映る可能性 | 「業務との相性や体調面の問題から、いったん職場を離れ自分を見つめ直す時間を取りました」 | 意図と行動に焦点を当てる |
転職理由 | 給与が低かったから | 条件主義に見られやすい | 「自分の体調や価値観に合う環境で、長く働きたいと考えたため」 | 将来を見据えた動機に言い換え |
面接での質問対応 | 「うつ病でした」と事実だけ伝える | 状況が想像しにくい・印象が重くなりがち | 「当時は心身ともにバランスを崩していましたが、今は医師と相談しながら安定しています」 | 病名でなく“経過”で伝える |
前職への言及 | 前の職場は最悪だった | 愚痴や責任転嫁と取られる | 「前の職場では貴重な経験も多くありましたが、自分には環境が合わなかった部分もありました」 | 感謝+理由で印象を柔らかく |
「病気のことをどう説明するか」は最大の悩みだった
転職活動を始めたとき、一番悩んだのはやはり「うつ病だったことをどう説明するか」という点でした。正直に話せば理解してもらえるのか、それともマイナスに受け取られてしまうのではないかという不安が常につきまといました。病気のことをどこまで話せばいいのか、配慮してほしいことをどう伝えればいいのか、何度も考え込んでしまい、履歴書の作成も面接の準備もなかなか進みませんでした。
そんな時、就労移行支援の支援員や転職エージェントの担当者に相談したことで、少しずつ整理ができました。たとえば、LITALICOワークスでは、「病気になった理由を無理に細かく説明しなくてよい」「今はどんな工夫で安定して働けるのかを伝えることが大切」とアドバイスを受けました。また、dodaチャレンジのアドバイザーからは、企業も配慮を前提に受け入れる姿勢があることを教えてもらい、安心して正直に話せるようになりました。
実際の面接では、「うつ病を経験したことで、自分の体調管理の大切さを学び、現在は安定して働ける状態です」と簡潔に伝えるようにしました。病気そのものではなく、今後の働き方の工夫や必要な配慮を伝えたことで、面接官の表情も柔らかくなり、安心感を持ってもらえたように感じました。この経験を通して、無理に自分を良く見せようとせず、正直に伝えた方が結果的に良いご縁につながるのだと学ぶことができました。
エージェントを使ったことで見えた新しい選択肢
転職活動に悩んでいたときに出会ったのが、障害者雇用に特化した転職エージェントでした。最初は「自分のことを他人に任せていいのだろうか」という迷いもありましたが、実際に相談してみると、自分ひとりでは気づけなかった選択肢がたくさんあることに驚きました。自分の特性や希望を丁寧にヒアリングしてくれて、体調や働き方に配慮してくれる企業をピックアップしてくれるので、安心して求人に向き合うことができました。
特にdodaチャレンジでは、求人紹介だけでなく、履歴書の添削や面接練習も行ってもらえ、選考に対する不安を大きく減らすことができました。マイナビパートナーズ紹介でも、非公開求人の中から自分に合った企業を紹介してくれて、一人では出会えなかった企業とのご縁をつないでもらえました。
転職エージェントを使ってわかったメリット・デメリット早見表
項目 | 利用前のイメージ(△予想) | 実際に使って感じたこと(◯リアル) | 解説・ポイント |
求人の質 | どこも似たような内容が紹介されると思っていた | 非公開求人や「配慮あり」の企業が紹介された | 公開求人と非公開求人のギャップは想像以上に大きい |
担当者の理解度 | ビジネスライクで冷たいかも…? | メンタルの配慮や病歴にも理解があり安心できた | 専門エージェントや相性の良い担当者に当たると心強い |
自分に合う求人の探し方 | サイトで検索する方が早そう | 自分では見つけられなかった選択肢を提案してもらえた | 「自分の条件」を話して整理する作業が案外大事だった |
面接サポート | 面接は結局自分で乗り切るしかない | 質問対策や「言いづらいこと」の伝え方を練習できた | 病歴や配慮事項の伝え方の壁を一緒に乗り越えられるのが◎ |
デメリット | 連絡がしつこい/断れなさそう | 担当によって対応差がある。合わなければ変更も可能 | 合わない場合の切り替え判断は「遠慮しない」が鉄則 |
「誰かに頼る勇気」で前に進むことができた
エージェントを利用してみて一番良かったのは、ひとりで抱え込まなくてよくなったことです。これまで「自分で何とかしないと」と思い込んでいましたが、誰かに頼ることで、心の負担が大きく軽くなりました。自分に合った職場を探してくれるパートナーがいることで、転職活動が孤独ではなくなり、前向きな気持ちで進めることができました。誰かに頼る勇気を持ったからこそ、今こうして安心して働ける職場にたどり着けたのだと、心から感じています。
うつ病での転職に不安を感じている人におすすめのサポートサービス
dodaチャレンジ|配慮ある職場を一緒に探してくれる転職エージェント
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ランスタッド|大手ならではの安心感と柔軟な求人選びが魅力
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atGP|メンタル面を理解した求人紹介に特化した転職支援
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ミラトレ|職場体験付きの支援で、リハビリ感覚で一歩踏み出せる
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【まとめ】うつ病 転職 体験談|自分を責めなくてもいい働き方がある
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